1956年(昭和31年)

50歳からの再スタート。
離島物流に挑む、小さな食品卸から。

創業者は、50歳での定年退職を機に「食品卸問屋」を立ち上げました。
資本金も人員も決して大きくはない、鹿児島の小さな商店。
しかし、早くから種子島・屋久島・奄美大島など離島への供給に目を向けたことが、
のちに当社の強みとなる「離島物流」の礎となりました。

1956

1969年(昭和44年)

屋久島支店の開設。
離島の暮らしに、安定した食を届ける。

離島向け物流をより確かなものにするため、屋久島支店を開設。
島の気候や船便の事情に合わせた配送体制を整え、
「必要なものを、必要なときに届ける」仕組みを形にしていきました。
その後、本社を現在地へと移転し、本土と離島をつなぐネットワークが広がっていきます。

1969

1980s

「新しい当たり前」をつくる。
チルド流通とカット野菜の時代。

島内生産だけでは賄えなかった生鮮品を、本土からチルドで届ける体制を構築。
さらに、カット野菜・カットフルーツなど、当時としては珍しい商品をいち早く展開しました。
調理現場の負担軽減とフードロス削減に寄与しながら、
「便利でおいしい」を両立する新しい食のスタイルを提案していきます。

1980s

1990s – 2000s

南の島から、アジアの入り口へ。
拠点拡大と新事業への挑戦。

沖縄支店の開設や直営店のオープン、業務用食品市場の立ち上げなど、
物流だけでなく「場づくり」や「情報発信」にも挑戦した時期。
コンビニエンスストア事業への参入を含め、離島の暮らしにおける
食のインフラを、多方面から支える存在へと成長していきました。

1990s

2020s –

次の50年へ。
人と地域をつなぐ、食のプラットフォーム。

物流センターの再構築やデジタル技術の活用など、時代の変化に合わせたアップデートが続いています。
同時に、「人を育てる」ことを大切にし、社員一人ひとりが自ら考え、動く組織づくりを推進。
離島と本土、地域と世界、人と人。
そのすべてを食を通じてつなぐ「プラットフォーム企業」として、
これからの時代も挑戦を続けていきます。

FUTURE


1956 – 1969

創業期:情熱から始まった小さな一歩

50歳での再スタートから、鹿児島と離島をつなぐ物流の礎を築いた時代。
小さな食品卸から、離島物流に強みを持つ企業へと歩み始めました。

  1. 1956年(昭和31年)

    創業と離島物流へのフォーカス

    創業者・竹之下武治が、50歳での定年退職を機に起業。
    鹿児島市住吉町に、資本金200万円・社員3名の「食品卸問屋 竹之下商店」を立ち上げました。
    離島を多く抱える鹿児島の特性を見据え、早くから種子島・屋久島・奄美大島へ販路を広げたことが、
    のちの売上拡大と離島物流改革の出発点となりました。

    創業当時の竹之下商店の看板

  2. 1969年(昭和44年)

    離島物流の拠点づくり

    屋久島支店を開設し、離島向け物流の拠点づくりを本格化。
    その後、1972年(昭和47年)には本社を現在の錦江町へ移転し、
    本土と離島を結ぶネットワークを見据えた新たなスタートを切りました。

    屋久島支店開設当時の外観

1970s – 1988

拡大期:南へ、そして革新へ

沖縄への進出、生鮮・カット野菜など新しいカテゴリへの挑戦を通じて、
「離島に強い食品流通企業」としての存在感を高めていきました。

  1. 〇〇年(昭和〇〇年)

    沖縄への進出

    次なる挑戦の地として沖縄へ進出。
    アメリカからの輸入食品に大きく依存していた沖縄に対し、本土の食品を安定的に供給できる体制を構築し、
    「離島に強い食品卸流通企業」としての信頼を獲得しました。

    沖縄進出時の展示会の様子

  2. 1983年(昭和58年)

    チルド生鮮食品部の開設

    島内生産に頼っていた生鮮食品を、本土からチルドで運ぶための
    「チルド生鮮食品部」を開設。鮮度を保ったまま多彩な生鮮食品を届けることで、
    離島の食文化のギャップを縮める役割を担いました。

    チルド生鮮食品部で取り扱う生鮮商品の一例

  3. 1984年(昭和59年)

    鹿児島県内ネットワークの完成

    北薩地区へ進出し、鹿児島県内をカバーする物流ネットワークを完成。
    県内全域への安定供給を可能にする体制が整いました。

    鹿児島県内を網羅するネットワーク図

  4. 1988年(昭和63年)

    カット野菜・カットフルーツの導入

    今日では一般的となったカット野菜・カットフルーツを、
    鹿児島でいち早く展開。消費者の生活スタイルに合わせた新しい提案が、
    売上拡大の大きなきっかけになりました。

    カット野菜・カットフルーツ商品のイメージ

1990 – 2003

変革期:新たな社名と共に加速する挑戦

沖縄支店の開設、社名変更、新市場や直営店の開設など、
事業フィールドとブランド力を一気に押し上げた変革の時代です。

  1. 1990年(平成2年)

    沖縄支店を開設

    沖縄支店を開設し、現地に根ざした営業・物流体制を強化。
    南の拠点として、よりきめ細やかなサービス提供を可能にしました。

    沖縄での商談風景

  2. 1994年(平成6年)

    商号の変更とブランド発信

    社名を「株式会社竹之下商店」から「株式会社竹之下」へ変更。
    テレビCMの制作など積極的な情報発信にも取り組み、
    新たなステージにふさわしいブランドイメージを打ち出しました。

    株式会社竹之下のロゴマーク

  3. 1994年(平成6年)

    業務用食品卸「南旬市場」設立

    業務用食品卸「南旬市場」を設立。
    顧客が実際に商品を見て触れて仕入れができる市場スタイルにより、
    仕入れの楽しさと安心感を提供し、新たな活躍の場を広げました。

    南旬市場のイメージ

  4. 2000年(平成12年)

    直営店「WAIWAIランド」オープン

    屋久島に直営店「ショッピングセンター WAIWAIランド」を開店。
    採算面から難しいとされていた離島への安定供給を実現し、
    「離島に強い竹之下」という評価を一層高めました。

    ショッピングセンターWAIWAIランド外観

  5. 2002年(平成14年)

    フルライン流通の確立

    谷山低温センターを開設し、加工食品・チルド・生鮮・業務用と
    すべての温度帯を扱う「フルライン流通」を実現。
    食品流通における総合プラットフォームとしての機能を高めました。

    谷山低温センターの外観

  6. 2003年(平成15年)

    コンビニ事業への進出

    奄美大島で初となるコンビニエンスストアをオープン。
    離島のライフラインを支える存在として評価され、
    「流通業界の革命児」と呼ばれるほどのインパクトを生み出しました。

    奄美大島のコンビニエンスストア外観

2025年〜(令和7年〜)

未来へ:次世代を見据えた挑戦

創業50周年を越えてもなお、変革の歩みを止めることなく、
次の世代を見据えた食品流通と人づくりに取り組んでいます。

  1. 2025年〜

    次の50年に向けた変革

    創業50周年を迎えたのちも、本社低温センターの新設など、
    物流インフラとサービスの進化を続けています。
    多様化・個性化する消費者ニーズを的確に捉え、
    次世代を見据えた食品流通システムの構築に挑戦。
    「人を育てる企業」として社員教育にも力を入れ、
    一人ひとりが自己変革を実践できる環境づくりを進めています。

    「お得意先の繁栄の原動力となる」という使命のもと、
    株式会社竹之下はこれからも変革のスピードを緩めることなく、
    新しい価値を生み出し続けます。

    竹之下の社員たちの集合写真

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